一章[梶と森本][一章] 僕は久江の死んでいた山の斜面へ向かっていた。 早いもので、もう3回目の月命日である。 どうして僕の家のわずか1km足らずの所まで来ていながら、会わずに自殺などしたのか理解できない。 近くなので徒歩で来たが歩いてみると意外に距離を感じるものだ。 林道への入口には車が停まっていた。 久江が雑木林へ入る時、やはりそこに車を停めていた。 その日、夜中に通った人が翌日の昼になってもまだ停まっているのを不審に思い駐在所に告げた事から久江は見つかったのである。 そこから雑木林へ200~300m程入ったところで久江は死んでいた。 運よくというか、死後1日くらいであった。 しかも日陰であった為、遺体の損傷はほとんどなかった。 冬だという事も幸いしたのであろう。 久江はそれらの事を計算して死んだのではないか、とさえ思うほどなのだ。 次の曲がり角を曲がったらそこが現場だというところまで来て、香の匂いがかすかに漂ってきた。 「誰か来ている」 咄嗟に僕は思った。 匂いから女ではないかと思ったが静かに近づいてみると意に反して男だった。 僕はしばらく、その男の後姿を見ていた。 姿勢よく立って経を上げているようである。 そしてしゃがみ込んでその場の土をビニール袋に入れ始めた。 僕はただジッと見ていた。 男はおもむろに立ち上がり振り向いて僕がいたので驚いた顔をした。 僕が花を持っているのを見て「お参りですか」と言った。 僕は「そうです」と答えたのだが、次の言葉がみつからなかった。 すると、その男は「梶さんですか」と僕の名前を言ったので「そうですが、あなたは」と尋ねた。 その男は「先にお参りをしてやって下さい」と促したのが、僕は不愉快だった。 男が持って来たであろう花の横に自分の持って来た花を置き、僕も手を合わせた。 その間、さっきとは逆の立場で僕の後姿を見ているのであろうと思っていたが、振り向いてみると男は背を向けていた。 やはりこういう場合は目をそらせてやるのが礼儀かと思った。 「待たせました。で、あなたはどなたですか」と尋ねる僕に「私は森本です」とその男は答えた。 「ああ、そうか、この男がそうなのか」と思い「お名前は聞いた事があります」と言うとその森本という男は 「久江さんからですか」と聞くので「いいえ、彼女の友達からです」と答えた。 いやに落ち着き払った男で「ここは何ですから、どこか適当な場所へ案内して頂けませんか」と言うので僕は 「田舎の事なので喫茶店らしき所へ行っても、落ち着いて話はし辛いと思います。 僕のアトリエにでも来ませんか」と投げかけてみると 「いいのですか」と答えが返ってきた。 「いいですよ、誰もいませんから」と言うと「それじゃ」と言って歩き出した。 林道の入口に停めてあった車は森本のものであった。 森本は「どうぞ良かったら乗りませんか」と言うので僕は心の中で舌打ちをした。 口では「ありがとうございます」と言って乗り込み、「すぐそこなのに、申し訳ない」と言ったら「いえいえ」と返事が返ってきた。 「久江はこんな愛想の良い男が好みだったのか」と思ったとたんに家に着いた。 僕は鍵のかかっていないアトリエに森本を招き入れた。 「ほう、いろんな物をお作りなんですねえ」と言いながら森本は部屋を見回した。 僕が不機嫌なのを見てとって「失礼、初めての家で眺め回すのは失礼でした。しかし、サラリーマンの僕には珍しくて」と言った。 僕は「森本さんは、彼女の死んだのをどうやってお知りになったのですか。新聞には載らなかったはずですが」と尋ねると 「いやぁ、僕の会社にこの近くの人がいて故郷の友達から電話がかかってきた、と言っていました。 田舎の事なので三日もすると知れ渡るようですね」とそこで森本は一息入れた。 「その人が言うには、どうも知り合いがいて尋ねて来たけれど、邪険にされて自殺したのではないか、という噂だと言いました」 僕はムッとしたが黙って聞いていた。 森本は「僕は聞くともなしに聞いていたのですが年の頃40歳半ばだという事や、遺書らしきものから名前が判ったけれど警察は言わなかった。 しかし、その遺書らしきものは、その村で工房を持っている陶芸家宛だった事からその人が呼ばれた話など、田舎って凄いな、と思って聞いていたのです。 するとあなたの名前が出てきて僕は咄嗟に久江ではないか、と思い警察へ問い合わせたのです。 しかしこの頃はなかなか電話では教えてくれません。 それで僕の友達の新聞記者に聞いて貰ったら小山久江だと返事がきたのです。 僕は自分でも予想しなかった程、気が動転しました」森本はそう言ってうつむいた。 そこで僕は「そうでしょうねえ。 僕も駐在さんが呼びに来て初めて知って驚きましたよ。 ほんの少し前、久江の死ぬ半月程前に電話で話したばかりだったのですから。 元気がないので、どうした、何かあったか、と聞いたら、ややあって『別に・・・』と言ったんです。 他愛のない話をしてそれじゃ、と言って電話を切ったのですが、やはり何かあったのですね」 森本は「時々、お付合いがあったのですか」と尋ねるので「いや、15年振りくらいに声を聞きました」と答えると森本は 「実は僕の所にも死ぬ半月ほど前に電話がかかってきましてね、僕も何かあったの、と聞いたのですが、僕にも別に、と答えただけでした。 「僕は25年振りに声を聞きました。 昔と変わらない声でした」 「元気がなかったでしょ」と言うと森本は「彼女は元々、おとなしくて余り騒ぐのが好きな方ではありませんでしたから。 ただ、世間話をしていて性格が随分変わったな、という印象はありました」 「おとなしい、ですか。 僕の彼女への印象はとても活発で頑張り屋さんで、泣かない人、という印象があります」と言うと森本は 「へえ、大人になって強くなったのかな」と言った。 僕は「いやいや、僕が知り合ったのは久江の24~25歳の頃ですよ」と言ったら「わずか4~5年でそんなに変わるものですかね」と返事が返ってきた。 僕はお茶を入れるのも忘れて話に夢中になっていた事に気がつき、急いでお茶を入れて勧めたら「ありがとうございます。 実は催促しようかな、ちょっとあつかましいかな、と迷っていたところです」と言われてしまった。 久江について森本は「実はここ10年程前から急に見かけなくなったので心配していたのです。 彼女は10年余り、どこで何をしていたのでしょう」と尋ねるので「いや、僕もここで工房を開いたのが10年程前なので判りません」と答えた。 森本は「彼女は仕事は何をしていたのですか」と僕に尋ねるので「警察の話だと、死んだ時はどこかの病院で給食の仕事をしていたらしい、 と聞きましたが」と答えたのだが、森本はけげんな顔で「給食」と聞き返した。 「彼女は美容院へ勤めていたのじゃないのですか」と言うので、今度は僕の方が「ビヨウイン」と驚いた声を出してしまった。 「それじゃ、病院と美容院を聞き違えたのかな」と言ったのだが森本は「そんな事はないでしょう。美容院で給食の仕事をするなんて 辻褄が合わないじゃありませんか」と言うのでそれもそうだと思った。 とにかく謎の多い死である。 僕は「しかし、どうしてここまで来ていながら僕に会わずに死んだのでしょうね」と言うと「それは彼女にしか判らない事ですよ」と答えるので、 そんな事は判っているさ、と心の中で叫んでいた。 森本は「彼女に家族はいなかったのですか」と聞くので「いいえ、娘が一人いますが」と言うと 「そうですか。 その娘さんとはお会いになられましたか」と聞いた。 「ええ、その娘と僕とで荼毘に附してお骨にして帰らせました」と答えた。 「久江はせっかくここまで来たのだから少しお骨を頂きました」と言うと「ほう、それはまた奇特な」と返事が返ってきた。 「左の薬指のお骨も頂きました」と言うと森本は黙ってじっと僕を見詰めた。 「ところで、森本さんは仕事は何をしておられるのですか」と聞いてみた。 「僕ですか。僕は車販売の会社へ勤めています」 「そですか、車販売のね。景気はどうですか」と尋ねながら僕は何を言っているんだ、と思った。 「どおりで落ち着いておられますねえ」とこれ又余計な事を言ってしまった。 森本は「梶さんのような芸術の仕事は景気に余り関係がなさそうですね」と言うので 「いやいや、そんな事はありませんよ。賞を頂くのはいいけれど、そうなったらそれなりの物しか作れなくなりますし、お客さんの方も 期待が大きくなるばかりで、それが必ず購買につながるとは限りません。この仕事も大変です」と答えた。 「僕は焼き物にはうとくて良く判らないのですがどういう物が良いのでしょうかね」と森本に聞かれて僕はハタと返事に困ってしまった。 「どういう物って・・、いうと」と逆に聞き返すと「いや、判らない者が質問すると漠然となってしまって、とりとめがなくなってしまいますねえ。 ところで、久江の最後はどんな風でした」と聞かれて僕は「きれいでしたよ」と答えたのだが森本は「苦しんだとか、乱れていたとか、 そういう見苦しい事はありませんでしたか」と心配をした。 「彼女は足を膝の所と足首の所を紐で縛っていました。 乱れたら困ると思ったのでしょう。 顔はきれいに化粧をして口元なんか、 ふっとほほえんで今にも動き出しそうな感じでしたし、化粧のせいで死人だとはとても思えませんでした。 まるで楽しい夢でも見ながら寝ているようで顔を近づけたら、パッと目を開けて平手打ちでも食わせられそうな感じでした。 手は、右手を胸の上に乗せて、左手はダラリと体の脇にありました。顔は少し左へ傾けて。 本当に眠っているようで・・・・・。 周りに人が多くさんいたので、それも異様な雰囲気でしたので事件だと判りましたが、そうでなかったら僕は抱き上げて 連れて帰ったでしょうね」と言うと「梶さんは優しい人だ。だから彼女はあなたの事を忘れられなかったんだ。 きっと幸せだった時の事を思い浮かべながら、こと切れていったのでしょうね」と言う森本の顔には一抹の寂しさが漂っているようだった。 二章へ |